精一杯、生きる
友人が亡くなった。
9月8日にあるクラフトビール祭に行く約束をしていた。
約束したのは、7月下旬。
8月上旬に、入院したと。
その後、検査・治療方針が決まったとか。
普段、Facebookで近況を知り、メッセージでやり取りしている。
深刻な状態だと、分からなかった。
入院中の事で、電話したりメッセージを送るのもどうかと、控えていた。
私は自分の入院中、人に来てもらいたくなかったから。
ただ、9月の約束はどうなのか?と、8月18日に《ビール待ってるね》とメッセージは送った。
彼女からは《いいね!》がきた。
私もかえした。
再び、彼女から《いいね!》がきた。
生きている彼女からのメッセージは、それきりになった。
9月に入って、彼女に再びメッセージを入れた。少しは落ち着いたのか。
返事次第で、お見舞いに行こうと思っていた。
返信は、暫く無かった。
5日に、彼女の夫さんから、メッセージがあった。
先週、亡くなったと。連絡が遅くなってごめんなさいと。
あまりにも、急すぎてついていない、と。
優しくて、人当たりの柔らかい夫さんも、よく知っている。
ので、メッセージでも《何で?》《いつ?》とか、何も聞けなかった。
大手企業に正社員で勤務しながら、アロマやリンパドレナージュ、折り花など、興味多彩。勉強熱心で、様々な資格も取得。生きる事に貪欲な人だった。
そんな彼女が何で?、と思う。私も実は、彼女がこの世にいないのを、受け入れられていない。彼女の暖かくて柔らかい手。未だに私の感覚に残っている。
だから、生きているうちは、《精一杯生きないと》
生きていたかった人に、申し訳ないと心から思うのです。
洋服を買う
断捨離、大事です。
断捨離すると、自分の持ち物が明確になる。
で、同じ様なデザイン・色のモノは自分のお気に入りだったり、使いやすいモノ。
ただ、やはり年齢と共に微妙に似合うデザインは変わっていて。
地曵いくこさんが書かれている様に、一度着て《あわない》と脱いだ服は2度と着ない。
故に、出来れば処分の対象になる。
どんどん処分すると、手持ちが無くなっていく。
気持ち良い感じに、クローゼットが空いていくのだけれど、今度は着ていく洋服が無くなる。
マズイ。あと一枚しかない。
それ位が、今の私の洋服の買い時である。
で。
ま。
本当はもう少し、間引いた位で購入すべきなのだけれど。
スカート2着、買いました。
程よい長さ。
私が買うブランドは決まっている。その時のデザイナーのデザインで、買うシーズン買わないシーズンとある。
この秋冬コレクションは、結構欲しいデザインが多い。
スカートの丈とシルエットがハマり、スタンダードな黒とデニムを購入する事に。
今迄に無いスカート丈で。
いつ、着るんだ?って、試着しながら思ったけれど。
久々に、イイ買い物したな、って。
厳選すると買い物しやすい。
今迄が、雑だったんだよね。買い方が。
丁寧に着倒そう。
引きこもり
夏休みが終わって、新学期というこの時期。新聞メディア各種、《しんどければ学校に行かなくても良い》と報道している。
ウチの子も、不登校になりかけた。少し出た杭は打たれやすく、よく絡まれた。
学校に行くと、訳のわからない事で絡まれるからと、私の出勤後に家で過ごしていた事が何回かあった。発覚したのは、担任の先生からの電話。
出過ぎた杭は打ちようが無いから、もっと出ろと言った。
《義務教育とは、日本人として身に付けるもの。教育は権利主張するものではなくて国家を支える為の義務である》と、中学生の子供に言い続けた。税金を使うのである。当然のことだと、私は自分の父に教えられた。学校に行き、自由に勉強出来る事が有難い事だとも。
担任の先生には本当に迷惑をかけたが、中学校は無事に卒業した。その後、高校はインフルエンザと1日のズル休みしただけで、楽しく過ごした。
まだ、幼い子供に楽な方を選ばせるのは、慎重にするべきだと思う。
逃げ道があるのは必要だけれど、いずれ成長したら自分で問題解決して生活していかなければならない。
学校は、その前のプチ社会である。
小学校は6年と長いが、中学校・高校は3年。人も入れ替わる。何とか折り合いをつけて、学校生活を送れないだろうか? 小学校は転校というテも視野に入れる。学校の仕組みがもっと柔軟になるといいな、とも思う。
新聞の記事で《引きこもり名人が、安心して引きこもれる社会》とあった。
それを読んだ死別シングルマザーの友人が、怒っている。
《私の働いて納めた税金が、引きこもりの生活保障に使用されるのは嫌だ》と。
何処まで保障する必要があるのか。認知症の介護認定の様に、引きこもりの度合いによって生活保障も認定制にすべきなのかも。
双極性障害・パニック障害の私でも、正社員として苦しいながらも働き続けてきた。働き続けられたから、軽い症状なのだろうと思われる。が、治療してもナカナカ改善は難しい。
趣味の事や、行きたいライブなどなら外出出来るという、引きこもり(?)もいると聞く。
皆、しんどいんだよ。
他人に寄っかかるのが当然、みたいなインタビューが載ると、かなり腹が立つ。
何が働き方改革だ?
女性が輝く社会だの、働き方改革だの、あくまで上から目線の政策が気に食わない。
働き方改革は、角度を変えればいいのかもしれない。
が。女性が輝く社会って。何だ?
女性は、結婚しても、子供を産んでも、介護する必要が出てきても、しっかり働け!!と。働いて、所得税を納め、保険料・年金・介護保険料支払えと。
私も働く必要があったから、働き続けた。
当時、私の勤めていた会社は育児休業制度を取得した者はいなかった。育児休業が制定されてから、初めての経産婦だったのだ。育児休業を申請したものの受け入れてはもらえず。《何かあったら休暇は取らせる》との口約束。
出産後、人事異動があり、《何かあったら休暇は取らせる》との口約束も、うやむやに。上司が違うので仕方ない、と諦めた。
産後の会社生活は《仕方ない》の諦めと。仕事は時間内に正確に完璧にと。
実生活は、《アレもコレも完璧でなければ》と。
1日24時間。通勤・仕事・家事、保育園のお迎え。
今から、20年近く前。私の友人達は、結婚か出産を機に退職していた。同期入社の女性社員も然り。
女性が結婚出産しても、働き続けるのが普通になってきた時代ではあるけれど、働かない選択も当然あった。
《何でお母さんは働かないの?》って、ネットニュースであったけれど、《女性は色んな選択があるんだよ》って答えて欲しかった。
角度を変えると、女性は男性よりも選択の幅がある様に感じる。ずっと、会社員で働き続けていたので、そういう感覚もある。
労働組合の役員をしていた事もあって、家庭を持つ男性のシビアな面を沢山見てきたからだろうな。女性も同様なのだろうけれど、逃げ道がある様な気がする。実際に私は今、逃げ道を歩いている。《逃げ道》って嫌な言い方だな。
言い方に、悩まないでおこう。
本が読めない
鬱病がヒドイ時、本が読めなくなった。
勿論、新聞なんかも読めない。
どうやって仕事をしていたのか、私本人も謎だ。主に数字だったので、大丈夫だったのかもしれない。
私は本の虫で、大体3冊位は同時で持ち歩いていた。流石に全部新刊では無かったけれど。何でもいいから活字を読んでいたいタイプ。お風呂でもね。
だから、本を読めなくなった時は、かなりショックだった。
本が読めなくなった、とはどういう事か。
文字が認識出来ないのだ。
頭に文字が入らない。
説明出来ないや。
だって、自分でも判らないから。
頭が情報を拒否したのだろうか?
ともかく、本が読めなくて電車の中で大泣きした。
人目も憚らず。
台風
台風と言えば、災害につながる困った気象現象。
が、私には酷い頭痛と咳をもたらす。
会社員であった時は、出勤はするものの頭痛が酷くて、集中出来ずにいた。
会社の上司や先輩は、こういう事に全く理解無い人だった。当日の絶対こなさなければならない仕事を終わらせても、有給休暇を使用させてもらえず帰宅出来ない。
グーっと頭を締め付けられる様な。その上、釘かキリで頭をあちこち刺されている感じ。
苦行に近い感じ。
いつも低気圧になると、頭痛には苦しめられるのだけど、台風は別格に酷い。
変なところ、台風探知機の様な身体になっていて、大体天気予報図に台風が発生する頃になると、頭の隅がチクチクしてくる。ずーん、と重たくて鈍くもあり、鋭い痛みも出てくる。
その内、頭を潰されそうな感じになる。
あとは、軽い気管支喘息。
空咳が出て、止まらなくなる。
一度に何個も来ると、たまらない。
天気予報図から消えるまで。
今までの事
振り返る。
自分の今までの生活。
不妊症の治療があって、
子宮の内膜炎症とポリープの治療して。
何回か流産して
やっと妊娠から出産に繋げられて
出産したら、育児休業取得出来ずに働いて
産後復帰したら、異動になって
慣れない仕事・人間関係でクタクタになって
帰宅後ワンオペ育児でもクタクタ
不眠症になって
ストレスで低音性難聴になって
鬱病と診断されて。
鬱病の治療をしたら、ますますおかしくなって
転院したら、双極性障害の診断がくだされて
双極性障害の方は投薬で落ち着いたけど
不眠症は治らず
会社での健康診断で節目のオプション検査で
緑内障と子宮腺筋症がみつかって
アレコレしんどい状態だったので、退職する
気楽に過ごそうと努力する。
薬の中毒というか、依存はすごくて
苦しい日を送る
現在は、なんとか睡眠薬を飲まずに過ごしている